生きててラッキーだったことを教えて③-(3)

こんにちはキノッポです。
今回3回目のラッキーな出来事その(3)では、文字通り天国から地獄へ真っ逆さまにつき落とされます。果たしてここからラッキー一つで這い上がれたのか!?
前回の記事はこちら↓

 いい加減学習しろよキノッポ!┐('д')┌なんて今回も言われそうです。

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▶福岡移住しました!


6月中旬、幸せ気分いっぱいるんるん♪(*´ -`)(´- `*)
まるで人生の目標を達成したかのごとく、大錯覚して福岡の新居へやってきました。

退社するときには、会社は有給をたまっている丸々2か月分を消化させていただきました。送別会も各部署、滞りなくやっていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

特に、私が直接面倒を見ていた営業部署のチームメンバーからのプレゼントと手紙には泣けました(T△T)
有給消化の2ヶ月間と、こちらへ移動してからのーか月は夢のようなひととき。
ちょっと贅沢に過ごさせてもらいました。

新築マンションの高層階からの博多湾の景色はこれまた夢のようです。
新しい家具を揃え、朝から散歩、買い物、福岡のおいしいもの買ってきては毎晩祝杯。
仕事もせず、遊んでばかり。というより

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▶仕事も決めず福岡へ来ちゃった

貯金や退職金、その他諸々なんだかんだと退職に伴う手当てがポロポロと支給され、さほどお金は減ってはいかない感じでしたし。

しかし、そんな贅沢な暮らしはいつまでも続くわけがありません。
当たり前ですよね?
さすがに3ヶ月も過ぎると貯蓄の底が見えてき、不安になってきました。

そりゃそうだ。
私もこんなことを何回も繰り返しているくせに、なぜ気がつかないのか?
どうして学習しないのか。とことん馬鹿なんですね。
(本当にバカ!( ̄へ  ̄ 凸)

新築マンションを購入し、欲しかったスポーツカーも手に入れて人生の終着点までも手に入れたとでも思ったのでしょうか。錯覚しちゃった?
いや、そこまで馬鹿じゃない。いえいえ、どうもそんな節もあるようで、やはり生粋の馬鹿でしょう。

いよいよ困ったら、また同じような営業でもやれば何とかなる。
心のどこかで、そんなふうに思っていた節もあります。
あるいは、探せば仕事なんかいくらでもあるだろう。
なんて、高を括ってたんです。

しかし、世の中そんなに甘くはありませんでした

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リーマンショック!世の中不景気真っ最中

と言う、世の中の状況も知ってか知らずか。
のほほんと暮らしていたある日、山口在住の知人に挨拶方々訪問したときのことです。

「私の年齢でもできる何かいい仕事ありませんかね?」

などと、何気なく会話をしていたところ意外な返事が返ってきたんです。
想定外というか。。

「いや、今全然ないよー。30件、50件面接受けても誰も雇ってくれないよ」
私なんか、何もなくて近所のコンビニでバイトしてるもん。

(* ̄□ ̄*;・・・
はー…、またまた冗談でしょ。??
な、わけないじゃないですか(笑)
その方も、以前は大手派遣会社の下関支店長をやっておられた方でもあり、実績、経験は評価されるだけのものを持ってました。

にもかかわらず・・なの?

そんな話は、にわかには信じられない。
まさか50件も面接受けて一見もなし?
そんなバカな!ハバナ!!
ことがあるわけないじゃん。
と、その時はその方の話は大げさで信じられん!などと思っていました。

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▶雇用状況の現実は超・ちょう厳しかった!

そして、ついにその時が再び訪れてしまったのです。
いよいよ何かバイトでも仕事を探さないと貯蓄もそこをついてきましたー< (*ー"ー)ノ☆)゚ロ゚)ノ

ハローワークへ毎日通いましたが、本当に仕事はないんだと言う現実を思い知らされることになります。

よーく考えてみれば、そうですよね。
ここは東京ではありません。
福岡です。人口も少ない、仕事も少ない。
ましてや、私も若くはありません。
サラリーマン(一般社会人)の経験も8年のみ。

★いまさら、私の8年間の実績をいくらアピールしようが反響はまるでなし。月に50件面接したって雇ってくれる職場はありませんでした。
それどころか、インターネットでも、毎日のように履歴書を数件ずつ送りましたが反響ゼロ!
おそらく月200件以上は履歴書を出しています。

もはや、私の希望する経験値のある、自信のある、営業職については全滅でした。

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▶誰でもできるようなバイトでも採用されない現実

これはいよいよ、正社員だの派遣社員だの契約社員だの言っていられない。
取り急ぎ先立つもの「生活費」を早急に稼がなければならない。
と言うことで、慌てふためきバイトを片っ端から探しました。


ところが…


ここでもショッキングな現実を目の当たりにします。
福岡といえば明太子ですが、そのとある下請け工場の作業員のバイトに応募し面接しました。おそらく、性別年齢関係なく誰にでもできる仕事です。

当時確か、時給620円でした。安すぎだろ~~( ̄□||||!!

 

しかし、…

 

そこでも面接落ちました。。。

これは結構ショックで、落ち込みましたねぇ。…
こうなったら、仕事などえり好みしてる場合では無いぞと。実感!

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▶旗振り警備員の仕事

現場作業、道路工事の旗振り誘導員。
今の私にはこの仕事しか雇ってくれるところはありませんでした。

早朝から真っ暗になるまで、真夏は真っ黒になるまで。
1月フルに働いても15万円程度にしかなりません。

これでは生活できないので、妻も働きました。
妻は私と同い年なのですが、私よりはなぜか仕事がありました。
(私と違い短大卒だし、器用だし?カンケイナイ??)


福岡にはわりと大手の通販外車がひしめいており、オペレーターの仕事が各種ありました。そこの時給の比較的高いコールセンター業務で働くことができました。


厳しい現実は数ヶ月間、続きましたが先は見えません。
泥沼のようなもがき苦しむ毎日でした。
車も売り払い、中古のボロで我慢です(福岡は足が無いと動けず仕事も不便です)。

このままでは、せっかく購入したマイホームも手放さないといけません。
早くもかよ~(TwT。)

途中で、お金を貰いながら学べるハローワーク職業訓練校も2校ほど通いましたが、正直気休めだけです。
何もしないよりはマシですが、生活においては焼け石に水状態が続きます。

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▶義父母が亡くなる。

そういった状況が2年近くも続く中、追い打ちをかけるように不幸が襲います。
以前より、病に伏していた祖母ですが面倒見ていた義父までもが心労からか倒れて入院してしまいました。


そして、最初に義父が、1年後追いかけるように義母が亡くなりました。

自分たちの生活もままならない時期だったので妻も大変だったと思います。
思えば、生前より義父母には大変お世話になりました。
そもそも、福岡という土地に移住しようと思ったきっかけは妻の実家に行った時から始まっていたんです。

何回も訪れているうちに環境といい、食べ物や住み心地の良さ全てが気にいりました。
大好きな熊本も車で1時間圏内だし。
そんな楽しい思い出ばかりが義父母とも重なりますが、ご両親とも亡くなってしまいました。

しかし我々はそんな悲しい出来事があっても足を止めているわけにはいきません。
両親がなくなったからといっても状況は何一つ変わるものではないから。
何かが好転することもありません。相変わらずもがき苦しんで生活していました。

 

こんな状況から今度こそは、もはや立ち直れる「ラッキー」が起こるとはとても思えません。
いよいよ万事休すか。

次回は、「会社を立ち上げた!」編に続きます。
はたして起業してその会社は順風満帆に動いていったのでしょうか。

いよいよ「生きててラッキーだったことを教えて」シリーズのラスト章へ突入です。
今現在のキノッポの状況とは??続きはコチラ↓↓

 

 

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