⑭<海>2017年7月

退院後1週間程は自宅で大人しくしていたが、翌週からはピラティスやジムなども問題なく行けるようになり、普段の生活を取り戻した。

そんな中、夫が聞いてきた話に私はショックを受ける。3月に夫の元同僚の奥様が亡くなった。生殖器系のガンだったという。面識はなかったが、彼らも社内結婚なので同じ業界の同年代の女性だ。テニスが上手いと聞いたことがある。その元同僚と夫が飲み行き、帰宅後に奥様のことを私に話した。

夫「5年前に見つかったんだって。ステージ2」

私「えっ? 2なのに亡くなったの?」

夫「なんかね、手術の日に行かなかったんだって。で、そのまま無治療になったらしいよ。代替療法は色々やったけど」

私「○○さん(元同僚)はどうにも出来なかったの?」

夫「本人が嫌だっていうならどうしようもないじゃない? 縄で縛って連れて行くわけにもいかないしって言ってた」

 

私は手術に行かなかった気持ちがよく分かった。でもそのまま無治療になるなんて。 そして黙り込んで考えた。一歩違えば私も同じ道を行っていたと思った。

33キロになるのは嫌だと泣きながらノートパソコンを開けたあの夜。

もし告知した先生の言葉を思い出さなかったら? もしT大病院放射線科のHPを見なかったら? もしJ医院が紹介状をすぐに出してくれなかったら? もし病院受付で断られていたら? もしY先生が受けてくれなかったら?

 

ステージ2であれば何の症状もなく過ごしていただろう。それがある日突然ガンを告知される。そして手術を受けその後は後遺症と共に生きなくてはならない。耐えられない理不尽さだっただろう。痛みと詰まりという症状があった私の方がそういう意味ではまだマシだったかもしれない。

 

私の来た道は、ほんの少しズレただけで同じ道になる可能性は充分にあったのだ。あの夜は紙一重のところにいた。暗闇でやみくもに手を伸ばし、たまたま掴んだものに導かれて今ここにいる。

 

そして彼女が感じてたであろう悔しさ、怖さ、無念さを思うと胸が絞めつけられた。

 

海へ

7月の週末、千倉の海に行った。簡素な道の駅があるだけのところで、砂場がないため人も少なく、ただ見るだけの海だ。私達はなぜかそこが好きで、たまにドライブがてら行っていた。

到着すると、季節柄いつもより人が多い。岩場では子ども達が夢中で遊んでいる。海はいつも通り静かで、風が気持ち良い。

 

私は「生きてて良かった」と夫に言った。これからも色々あるだろう。多発性表在癌がまた出来るかもしれないし、再発するかもしれない。私は再び泣いたり喚いたりするだろう。そうして右往左往しながら、また自分なりに納得できる道を見つけていこう。

そして今この時一瞬一瞬を、あの岩場の子どもと同じ熱量で楽しもう。

 

帰り道、夫が「また来ようね」と言った。私は「うん、また来ようね」と同じ言葉を繰り返した。

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